☆★☆ 祐海・何を言うかい コーナー ☆★☆ 
2012年1月10日更新



                     平成24年1月1日
昨年、12月11日に徳星寺御詠歌講の皆さんと栃木御詠歌講習会
へ行ってきました。講師は徳星寺でもお世話になっている名取芳彦
先生でした。先生は御詠歌の他にも布教活動や近年は多数出版され
る程、精力的に執筆活動もなさっておられている方なので、お話が
とても面白いく、その日も期待を裏切らず、楽しく充実した日が送
れました。                                                
 その講習会の中で、私は先生に「井草さんは何歳になりましたか」
と聞かれましたので、「もう、37歳になってしまいました」と言
いました。会場の中で私が最年少の様な感じだったので、先生は 
「あなたが『もう』、なんて言ったら他の人はどうするのですか?」
と笑いを誘った後、「『もう』と言いましたが37歳は人生で初め
てですよね。初めまして37歳ですよ。」と話し始めました。先生
は、60でも80でもその年になるのは初めてなのだからどんな年
になるのか、どのようなことが起こるのか楽しみで仕方ないそうで
す。また、「観光名所に行ってここは何度も来たことあるから、皆
は先行ってて下さい。私は行かないでふもとの喫茶店でお茶して待
ってますから。」と言う人がいるけれど、2回目行くのは初めてな
のだから、もしかしたら2回目だから分かる、感じる事もあるから
行って楽しんだ方がよっぽど実りある人生を送れるのではないかと
いう話しもされました。                                    
 確かに80を過ぎられてお元気な方の話を聞くと、どなたも、
「行けるところはどこへでも行く。冥土の土産にするんだから。」
と冗談交じりにおっしゃって、はつらつとしています。そう考える
と、時間に追われ、もう若くなくて、37歳になってしまったと思
った私は恥ずかしくなりました。歳はいくつ重ねても、その年はい
つでも初めてという常に新鮮な気持ちを持ち、心にいつも「はり」
を持つ生き方こそが仏になる道、幸せの道なのだと感じました。  
                                            祐  海  合 掌



                                        平成23年8月13日
今年の花まつり子供会は、二月に募集をし、たくさんの子供達が参
加の申込みをしてくれていたのですが、三月に東日本大震災があり
正直、開催すべきかどうか迷いました。しかしこういう時だからこ
そ開くべきだと、一緒に修行をした仲間から背中を押され開催する
ことにしました。当日は、大きな地震もなく、無事終了できたこと
が、これほどまでに感謝したのと、ほっとしたのは初めてでした。
 子供達に仏さまのこと、いのちのことを知ってもらいたいと思い
徳星寺で花まつり子供会を始めてから十一年、今年第九回を無事開
くことが出来、そろそろ、外へ飛び出しての布教もしたいと考えて
いました。そこでお施餓鬼が終わって一息ついた一週間後、娘の祐
那が通っていた古河のひまわり幼稚園へ行ってきました。子供達に
は、一目で「お坊さんだよ」と分かるように改良服に袈裟と数珠を
身につけて教室へ入りました。なるべく、簡単に楽しく出来たらと
思っていたので、歌や手遊びをしてから、パネルシアターを使い、
食事についての話しを通し、「いのち」について年長さんを対象に
話しをしました。女のお坊さんというのも珍しかったのか、子供達
は目をまん丸にして、よく話しを聞いてくれました。「たくさんの
命を頂いて、私たちは生かされている。一人だけでは決して生きら
れない。大勢の人々の力によって食事が出来るんだよ。」という話
をしたら、「僕たちもいつかは死ぬの?」という質問がありました
  私は「命あるかぎり、誰も必ずいつかは死ぬんだよ。だから、今
あるこの尊い命に感謝して生活しましょう。」と話しました。死は
まだまだ先のことで、自分の事として考えていなかった子供たちは
  驚いた様子だったが、素直に受け止めてくれている様子でした。
今回子供達にお話をさせて頂いて、子供達の素晴らしい生命力を感
じ、ほんの小さな活動ですが、子供達が思春期を迎えるとき頭の片
隅に残っていて欲しいと願い、また機会を作り子供達と話をしてい
きたいと思いました。                        祐  海  合 掌



                     平成23年1月1日
「悪いことが起きるのは、全部自分が悪いのです。私はただ普通の
幸せで良いから、幸せになりたいだけなのに」とおっしゃっている
方がいた。私は、普通の幸せって一体何なんだろうと心の中にぽつ
りと疑問が湧いてきた。                   
 その方は、まるで自分は不幸かのように言う。楽しいことやうれ
しいことしか人生にないという人はいないのに。何もなくて人生真
っ平らなんて人もいないのだ。人それぞれ立場も違うし環境も違う
 その中で、人それぞれの悩みや苦しみ、悲しみがあって人生なの
だと思う。                         
 そして、自分の命=ほとけ様を感じ、自分は生かされているのだ
と気づき、感謝しながら毎日を過ごす。これが幸せに繋がっていく
ものだ『いつも前向きに考える』これだけで日々の生活の中に幸せ
が生まれてくるのだから…。                 
              ◇             ◇             
 昨年の十二月に小二になる娘の学校で持久走大会があった。前回
一年生の時は、どうだった?と聞いた時「ビリじゃないよ。後に先
生がいたもん」と答えていた娘。今回も家に帰ってきた時どうだっ
た?と聞いてみた。すると娘は「ビリだった…。でも偉いでしょ!
見学者が二人いたんだよ!走らないよりはビリだったけれど最後ま
で走ったから偉いでしょ!」と言った。常に前向きに考え、くじけ
ないでがんばってる姿は生きるパワーに溢れてると思った。   
 この間、インフルエンザ予防接種を受けさせるため、小一になる
息子を連れて病院へ行った。知的障がいがある息子は、状況理解が
出来ないので、怖くて泣いていた。看護婦さん二人と私とで押さえ
つけて注射を打ってもらった。打ち終わったら泣きながら息子は「
みんなありがとう」と言った。何をされているか分からない息子に
とって「痛いな〜何するんだよ!この野郎!」という言葉でも良か
ったのに、「ありがとう」という感謝の言葉が出た事に驚いた。 
              ◇             ◇             
 人の心の不平不満は自分自身が作り出すものまた喜びや幸せと感
じる心も自分自身が作り出すもの。幸か不幸かは自分の心次第。だ
から、前向きに笑顔で過ごそうではありませんか。仏さまはいつで
もあなたを応援しています!                 
                      祐 海 合 掌 




                    平成22年8月15日
徳星寺の御詠歌講「つくしんぼ」は平成元年四月から始まったので
今年で二十二年目になる。当初から参加している講員さん6名は、
長年の功績が認められ、今秋の大師講全国大会で表彰されることに
なった。六十代で始めた方は八十代になり、身体的にも厳しくなっ
てきた方もいる。また色々な趣味・余暇が楽しめる今日では、御詠
歌はただの趣味と言うだけではこれだけ長くは続けられないだろう
 しかし、「暑くて行くのが大変だったけど、来て良かった」とか
「ご本尊様に会えて良かった」とか「来ないと何となく気持ち悪い
のよね〜」などと言って皆さん笑顔で、御詠歌講に参加して下さっ
ている。これも『信仰心』があってこそ続けられるものと思う。  
信仰心のある方は、この世は、人間の力ではどうしようも出来ない
大きな力があるということを知っている。だから彼女たちはいつも
「お陰様で」や「ありがとう」という言葉が自然に出てくる。生か
されているという感謝の気持ちがとても美しい。                
お腹空けばコンビニへ行き、欲しい情報や物があれば家にいながら
インターネットすぐに解決し、どこにいても携帯電話で誰かと話せ
る便利な世の中。だからちょっとでも思い通りにいかないと怒り出
したり、挫折感を感じたりしていまう。これは、忙しいという言い
訳で信仰心という美しい心を忘れてしまっている人が増えてきてい
るからだと思う。今一度、「有り難い」「お陰様」と自然と手を合
わせる心を取り戻そう。                   
                                       祐 海 合 掌 




                                         平成22年1月1日
去年十月七日の読売新聞茨城版に九十二歳でホームヘルパー三級の
資格を取得し、生涯現役ボランティアとして九十七歳まで活躍した
山崎さんという方の記事を読んだ。九十歳以上の交流会を設立に加
わり、その交流会の送迎を担当していたという。とても素晴らしい
と思った。自分がその歳まで生きていたら、同じように新しいもの
に挑戦できるだろうか、甚だ疑問である。                      
 十二月十一日には、娘の学校で持久走大会があった。一ヶ月前か
ら学校で持久走の練習が始まった。足の遅い娘はいつもビリ争い。
私と娘とで土日は練習しようということになり、可能な限りの土日
朝は二人で頑張って走った。大会当日、二十三位だった。欠席者が
いたらしく、残念ながら娘は最下位。この話題に触れない方が良い
のかなと思いそっとしておいたら、娘がお願いがあるのと言い出し
た。「これからも土日一緒に走る練習をしてほしい。足が速くなり
たいから。」と言った。結果が駄目だったからといって、あきらめ
ないでかえって奮起している娘の姿に驚き、大切なことに気づかさ
れた。  大人になるといつの間にか、これ出来ない、あれ出来ない
と自ら可能性を閉ざし、成果の出そうなものしか努力しない。新し
いことを始めることだって臆病になってしまう。しかし、新しいこ
とに挑戦したり、結果ばかりではなく努力し続けることに意義があ
る。そして、これこそが生きる活力であり、笑顔の源だと思う    
                                             祐 海 合 掌




                                         平成21年8月1日
最近の私は、あっという間に時が過ぎ時間に追われている気がする
四月に娘が小学校へ入学したと思ったら、もう夏休みになってしま
った。しかも長いと思っていた夏休みも後半に入ってしまっている
物忘れも恐ろしいほど多く、心に余裕がないからなのかな…と思う
そんな中、『聖(セイント)☆おにいさん 中村光 著 講談社』い
うおもしろい漫画を見つけた。目覚めた人ブッダ、神の子イエス世
紀末を無事に越えた二人は、東京・立川でアパートをシェアし、下
界でバカンスを過ごしていた。近所のおばあちゃんのように、細か
いお金を気にするブッダ。衝動買いが多いイエス。そんな“最聖”
コンビの立川デイズ。という内容で、ゆるゆるコメディーだから、
疲れた心にはぴったりで、ほっと出来るものになっている。違う宗
教の祖である二人が、互いの宗教を認め一つの世界で仲良く暮らし
ている姿が実におもしろい。作者はコメディーだから専門書的にし
たくないとインタビュー記事に書いてあったが、この世界観はまさ
に真言宗の考え方と同じだからまたまたおもしろい。真言宗は、い
のちが生まれるところ大宇宙を大日如来と称し、その中に沢山の仏
様や神様、命あるすべてのもの、もちろん私たちもいるという考え
である。だから、違う宗教、違う人種だからといって喧嘩はしない
し、認めないわけでもない。見た目は違っても、中身は一緒。だっ
てもともとは、ひとつなのだから。私たちはどうしてもせかせかと
時間に追われ、心を見失われがちだが、もう一度、目を閉じて、こ
の大日如来というおおきなゆりかごにいると言う事を感じ、心を落
ち着かせゆったりと過ごしていきたいものだ。                  
                                             祐 海 合 掌




                     平成21年1月1日
 私の娘はちょっぴり運動が苦手だが、幼稚園のスイミングスクー
ルに通っている。この間スイミングスクールがあった日、幼稚園バ
スから降りてきた娘の目には、少し涙が浮かんでいた「どうしたの
?」と私が聞くと、どうやらスイミングスクールで進級試験があっ
たらしく「お友達はどんどん上のクラスに行って、帽子の色も変わ
っちゃうし、祐那一人になっちゃうよ」と言っていた。     
 私は、仏様だったらこの子になんて声を掛けるのだろうと考え、
「ラッキーじゃん!!」と言った。娘は目をまん丸にして「どうし
て?」と聞いてきた。私は「それはね、お友達が沢山いるとなかな
か順番が回ってこなくて泳げないけれど、お友達が少ないとどんど
ん泳げるから良かったじゃない!一番大切なことは、早く上のクラ
スに行くことじゃなくて、長く続けて頑張った子が凄いんだよ」と
声を掛けた。娘は、「そっか!頑張る!」と言って、また笑顔にな
り、前向きな気持ちになってくれた。             
 人の悩みは年を重ねるごとに深くなっていくものだが、『進級し
たい』『帽子の色が違う』時には『お友達に酷いこと言われた』と
泣き、心を傷めている六歳の娘も『昇進したい』『人に傷つくこと
言われた』『勝ち組か負け組か』などと悩んで翻弄されている大人
の私たちもなんら変わりないではないか。体だけは成長し、心は変
わらず、もしくは子供の純粋さがなくなった分、恨みやすくなり、
妬みやすくなっている私たち。いつまでこの悩みのスパイラルを続
けているのかなと思うと、逆に悩みなんて滑稽で仕方ないと笑えて
しまうのは私だけだろうか                  
 仏様の教えは中道、つまり「こだわるな」ということである。一
つのものにとらわれ、こだわり、迷うから苦しいのだ。だから、き
ちんと悩みと向き合い、そして前向きに考え、肯定的に考えると笑
顔になり、心が救われる。                  
 どうか悩まれた時、心が傷んだ時は、仏様ならどう考えられるか
考えてみて下さい。仏様はいつでも手をさしのべてくれています。
それに気づくかどうかは私たち次第。悩みに留まり続けているので
はなく、階段を上るように一歩一歩解決して、心豊かになりたいと
思う。                           
                       祐 海 合 掌




                    平成20年8月11日
毎朝、テレビでニュースを見ていると、六歳になった娘の祐那は、
「消して!消して!怖いよぉ」と言う事が多くなった。それは、少
年少女が親を殺してしまったり、親が子供を殺したり、秋葉原無差
別殺人の様に猟奇的事件などが多発し、テレビを付けると残虐なニ
ュースが流されているからだ。色んな事が理解できるようになって
きた娘とって、大人が思う以上に恐怖を感じるようだ。こんな社会
は子供に見せたくないと思うし、もう間もなく親の手を離れ、この
社会に出て行くと思うと不安になる。どうしてこの様な社会になっ
てしまったのだろう。人間本来の姿素晴らしさが見失われつつある
ような気がする。しかし、息子の大雲を見ていると人にとって何が
大切なのかということを気づかせてくれる。          
 大雲は生まれてすぐ大病を患ったせいで発達障がいになり、とて
もゆっくり成長する。普通の子と同じ様に出来ることは少ないが、
最近の大雲は少しお手伝いをしてくれるようになった。もちろん、
気が向かないとやってはくれないのだが、大雲にとってはすごい事
なのだ。 私が洗濯物を干していると、洗濯籠から洗濯物を取り出
し、「どうぞ」と言って渡してくれる。私が「ありがとう」と言う
とニコニコっと嬉しそう顔をする。何回かこのやり取りをしている
と大雲は『ありがとう』と言われたく「どうぞ」が抜けて「ありが
とう」と言って洗濯物を渡してくれる。大雲の得意げな顔見て思わ
ず笑ってしまった。コミュニケーションが取りづらく、マイペース
な大雲だけど、障がいがあっても人の役に立ちたいのだなと思い、
これが人間本来の姿なのだと実感した。            
 自分の利害ばかり考え、自分勝手な行動で周りも自分も傷付けて
しまう私たちだけど、小さな事で良いのだから、一日一回人の役に
立てる事をし、人間本来の美しさを取り戻そう。 そして「ありが
とう」という言葉は、素敵で人を幸せにする言葉だと思っう。ただ
心に思うだけではなく、どんどん声にして伝えるべきだ。また親子
でしか交わせない「生んでくれてありがとう」 「生まれてくれて
ありがとう」と言ういのちへの感謝をしたいものだ。      
                       祐 海 合 掌




                     平成20年1月1日
  生まれてすぐ大病を患った息子は、発達が遅い、コミュニケーショ
ンがとりずらいなどの後遺症がある。そんな息子だが、4月から市
立の保育所の年少組に入所できた。              
 はじめは泣いてばかりいたが半年が過ぎた頃から慣れ始め、今で
は笑って通えるようになった。なかなか社会に入りにくい子なのだ
が、先生が一人ついてくれているので安心してみてもらっている。
保育所に受け入れてもらえた事がすごく嬉しく有り難いと思った。
私が学校へ通っていた頃を思い出すと学校へ行けるのは当たり前で
感謝の気持ちなんてなかった気がする。情けないが、自分が親にな
ってみて地域の人々に支えられ学校に通えるのだとはじめて実感し
た。学校給食費未払いが社会問題になっているが、自分だけの事を
考えるのではなく、地域の人に支えてもらって学校に行かせてもら
ってるという謙虚な気持ちが必要だと思う。          
 そして同じ保育所に通っているお友達にも優しく接してもらって
いる。実はうちの子にはお友達が出来ないのだろうな…、一緒に遊
べないのだろうな…って思っていたのだが「たいちゃん!たいちゃ
ん!」と声を掛けてくれ遊んでもらっている。三歳から六歳の小さ
な子供は自分のことばかり考えてるのかと思っていたが、純粋に弱
い子を護ろう、かわいがろうという慈しみの心があるのに驚いたの
と同時に感動した。この慈しみの心は人間本来が持つ良いところな
のだろうなと感じた。                    
 しかし、段々成長するに従って、自分と違うものを認めない、排
除しようという気持ちが大きくなっていき、いじめてしまう気持ち
に変わっていってしまう。自分のことばかり考えているのはむしろ
大人の方の様だ。権利主張ばかりするのではなく、謙虚さを持ち慈
しみの心を持っておおらかに生活していきたいものだ。     
                       祐 海 合 掌




                                          平成19年8月1日

『オーラの泉』という不思議なテレビ番組をご存じだろうか。これ
は国分太一と美輪明宏とスピリチュアルカウンセラー・江原啓之の
トーク番組で、始めは深夜枠だったのにゴールデンタイムに移るほ
どの人気番組だ。始めに江原啓之が目をつぶり「ふんふん〜」と頷
きながらなにかと交信している。そして突然「ぶっほぉほぉほぉ〜
」と美輪明宏が笑い出し、江原と「そうよね〜。あ〜よね〜」とこ
そこそ話をした後、江原がゲストの前世や守護霊・オーラの色はあ
〜だこ〜だと話し始めるのだ。目に見えない物や科学的に証明され
ていない物をあたかもある様な如く話し、番組が成立しいるのにび
っくりした。テレビで放映されていると、これが事実である様に思
われるから不思議だし、ある意味怖いなっと思った。            
 確かに人間の力が及ばない不思議なことがあると思うし、前世や
守護霊を否定するつもりはないが、このような話に惑わされてはい
けないと思う。私なんか霊が見えると言う人に人に三百体の霊に取
り憑かれているといわれたこともある(笑)。今ある不幸なことを
前世やご先祖様のせいにして現実逃避をする人もいるが、今ある現
実を素直に受け入れ、明らかにする意味での明きらめが必要である
と仏教では説いているからだ。                                
 この間、娘の祐那が夏風邪の一種である手足口病になってしまっ
た。手の平と足と膝、口の中までぽつぽつと発疹が出来てしまう病
気だ。熱は三十七度八分位でさほど酷くならなかったのだが、口に
出来てしまった発疹が大きな口内炎になってしまい、四日間も何も
食べられなかった。小児科の先生にはこの時代餓死する人なんてい
ませんと笑われてしまったのだが…、おしゃべりな娘が一言も話さ
なくなり、飲食を嫌がるようになってしまったので、このまま餓死
してしまうのではと心配した。先生が危機に瀕すれば絶対食べます
よと言われた通り、とてものどが渇いたらしく、さっきまで痛がっ
ていたのに急にごくごくと水を飲み出した。「あっ痛くない。しゃ
べれる」と四日ぶりに娘が話しだした。もやもやした霧が晴れたよ
うにとても嬉しかった。当たり前のことなのに娘と話せてとても幸
せを感じた。                                                
 なにかと不幸だと思い、毎日の生活がつまらないものと思うので
はなく、本当は生きている今が幸せであり、この命に感謝し、少し
でも人のために自分の時間(命)を使うことが大切である。      
                       祐 海 合 掌




                     平成19年1月1日

 法事で必ず話していることがある。                          
 それは、お経には、一人一人の心の中に仏さまが住んでいる。そ
の仏さまに早く気付きましょうということが説いてある。仏さまは
目に見えないし、触れることが出来ないので、感じることは、難し
く思うかもしれないが、本当は簡単である。自分の胸に手を当てて
みて、心臓の鼓動を感じることが出来るだろう。それは生きている
証である。自分が生きている限り命がる。仏教では命=ホトケとい
う。この命が仏だと思えば感じることが出来るだろう。自分の命=
仏さまを感じることが、悟りへの第一歩なのであると説いている。
 またお経には、自分の命だから、とても大切な仏さまは自分以外
の命ある全てのもの、人に仏さまが住んでいることを忘れないとい
うことも説いてある。人を敬う気持ち、感謝する気持ち、尊いもの
を尊い、ありがたいと手を合わせる素直な気持ちを忘れない事とい
う二つを話している。                                        
 では、具体的にどう生活していけばよいか?         
 まず、鏡を見て『大好き』と恥ずかしがらず言ってみて欲しい。
この『大好き』という言葉は言うと必ず『き(い)』で終わり、自
然と笑う顔になる。自分の命=仏を感じるということは、自分のこ
とを好きになること、毎日笑顔で過ごす事である。       
 次にあなたの周りの人に『大好き』と思いながら、『ありがとう』
と言ってみて欲しい。これを続けていくと仏さまを感じることが出
来る。そして、たくさんの仏さまに出会うことが出来るだろう。 
 私の子供たちにも毎日一回以上は『大好き』と必ず言っている。
子供たちは安心した顔になる。特に生まれてすぐ大病を患った息子
は、発達が遅れていてなかなか言葉が出ないが、大好きと言うと、
すごくうれしそうな顔をして、彼の気が向けば、大好きと言えるよ
うになった。『大好き』という言葉は、魔法の言葉である。子供た
ちだけじゃない、本当は私の方が温かい気持ちになり、周りの人、
仏さまに支えられているのに気付き、感謝の気持ちでいっぱいにな
るからだ。                  祐 海 合 掌




                     平成18年8月1日

「いっぱい笑って                      
大きくなぁれ 大きくなぁれ                 
笑いは心の栄養ドリンク                   
心の成長は無限大」                     
                              
 大学時代の友人に赤ちゃんが生まれたので、上の文と絵手紙を書
いてお祝いに行った。 無事に健康で大きく成長してほしいという
願いを込めて書いたのだが、私の息子のように人には思いがけなく
病気になってしまったり、病気が治っても後遺症が残り、それを一
つの個性として一生付き合っていかなくてはならない時もある。 
 あまり表情がなかった息子が最近よく笑うようになったのを見て
いると、体の成長は人それぞれ違いはあるが、心の成長は無限に大
きくなるものだということ感じる。              
 先日、スーパー銭湯に行ったときである。サウナに入っていたら
中年女性が入ってきて、私の下の段に座りいきなり私の足を押して
きた。少しずれると、「邪魔なんだよ!」と言ってきた。公的場所
に私の場所もないのに全く自分本位の人だと腹を立ててしまった。
 大人になったら、体はもう成長しない。では、どこを成長させた
らよいのか。それは心しかない。毒をはくより、笑顔で接し、思い
やりの気持ち、謙虚な気持ちを忘れないで、心を大きく成長させた
いものだ。                  祐 海 合 掌 




                                          平成18年1月1日

 三ヶ月前に歩き始めた長男の大雲は、外での散歩が日課となって
いる。この日課である散歩のため靴を履かせ外に出たときである。
いつもなら靴を履いた途端、喜んで笑いながら玄関前の緩やかなス
ロープを行ったり来たりするのだが、このときは違っていた。    
 歩き出さず座り込んで、上の方を見て目をぱちぱちさせていたの
である。何かと思って同じ方向を見てみたら、冬の凛としたとても
素晴らしい青空が広がっていた。あれっ?今日ってこんなにいい天
気だったんだとその時初めて気がついた。そして、近頃ますますお
しゃまになってきた上の子は、時々私の顔を見て「ママー、ニコニ
コママになってよ」という。別に怒っていないのにどうしてそんな
事言うのかなと思って、鏡を見てみたら、眉間にしわを寄せ、本当
に怖い顔をしていた。今一番、目が離せない子供達の世話に追われ
心に余裕がなくなっていたのが恥ずかしくなった。こういうときは
御詠歌の名取先生が教えてくださった、真言を思い出している。  
 『オン ニコニコ ハラタテマイゾ ソワカ』                
なんじゃこりゃ?と思うかもしれないけど、不思議とこの真言を唱
えるとカリカリしてたり、ガツガツしてたり、クヨクヨしているの
がバカらしくなってきて、くすっと笑ってしまう。多かれ少なかれ
誰にだってストレスがある。それをため込むと、イライラしたりム
カついたりキレたりして、心が病んでくる。みんな「私は大丈夫」
と思っていても、誰にでも体が風邪を引くように心だって同じく風
邪を引くのだ。今生きているこの命に感謝し、仏さまに手を合わせ
ニコニコ優しい笑顔を忘れず、心を暖めて風邪を引かないようにし
たいものだ。                                 祐 海 合 掌




                                         平成17年8月1日
『幸せはお金では買えない                  
            心しかあの世には持って行けない』    

 娘は三歳になり一日中おしゃまにしゃっべてはいるが、まだまだ
甘えん坊である。息子は一歳四ヶ月になった。ハイハイで好きなと
ころへ行けるようになり、恐がりですぐ泣くくせにどんどん一人で
行ってしまい目が離せなくなってきた。                        
 息子は生まれてすぐ病気をしたので、定期的に病院で検査をして
いる。この間はMRで脳の断面図を撮った。結果は脳が萎縮していた
部分があり、実際に写真で見るとこんなに萎縮しているのかと愕然
とした。しかし、それ以外は悪いところがなく、成長も順調とのこ
とで安心した。どんなことがあってもこの子達をしっかり見守って
愛していこうと強く思いなおした。                            
 人によっては、良い方向に考えられず、将来のことを不安に思っ
たり、自分を責めてしまったりと悩んでしまう人がいると思う。た
だこの闇を払うのは自分自身でしか払えないのである。          
 どうしたら悩みから脱し満足して生活するか、どう幸せに生きて
いくか仏教では六つの心がけを示している。                    
                              
 1思いやりの心                                            
 2自分を甘やかさない心                                    
 3他人の生き方も尊重する心                                
 4無理せず、怠けずの心                                    
 5意欲を高く強く持つ心                                    
 6仏様のように考える心                                    
                              
悩みがあるときだけ心がけるのではなく、常日頃からこの心がけを
実践し生活していくことが大切である。そして幸せという財産を増
やしていきたいものである。                    祐 海 合 掌


                              平成17年1月10日
 長男の大雲は生後間もなく大病をしたが、その後は病院の先生も
びっくりするくらい順調に成長し、9ヶ月になった。よく笑い、手
ばたきもするようになり、病気したことを忘れてしまうくらい元気
である。                          
 祐那は2才5ヶ月になり、よくやくおしゃべりするようになってき
た。子供といると発見が多い。散歩にでかければ、道路と塀の隙間
に力強く、小さな花が咲いてるのを見つけて「匂うよ」と教えてく
れる。電柱にしがみついて「うえ、うえ」と言うので上を見てみる
と、電線がたくさんのびていて、下から見上げるとこうなってるん
だと、電柱は見慣れているのに初めて見るような新鮮な気持ちにな
る。この間は、日が暮れて外に出てみたら、きれいな三日月が出て
いた。それを見た祐那は、「あっ!バナナだ!」と言ったので、思
わず大笑いしてしまい、このちょっとした発見に幸せを感じる。 
 人はいつからか、月は月としか見なくなってしまうのだろう。確
か自分も幼いときは、遊びの中でいろいろ発見していたと思うが、
大人になると自分の目線で見えるものや自分の固定観念でしかもの
を見なくなってしまった。                  
 怒っている人を見ると、常に怒って怖い人と決めつけ、落ち込ん
でる人を見ると暗い人と決めつけたがる。しかし人は一面だけでは
ない、笑ったり、泣いたり、いろいろな面がある。人だけではない
ものや風景など思いこみで見ていたものがたくさんあるけれど、実
は、まだまだ知らない部分がたくさんあるのだ。        
 ひとつのものの考えにこだわらずいろんな方向から人やものごと
を見てみよう。ありふれた日常生活にこそ小さな発見があり、幸せ
が落ちているのだから。                   
                         祐海 合掌



                                        平成16年7月25日
三月十五日に長男が誕生した。名前は大雲(たいうん)といいます。
陣痛が始まってから生まれるまで、なんと一時間という速さの出産
だった。二人目だったから、子育ても気持ちに余裕があり、一人目
とは又違ったうれしさと楽しさがあった。           
 しかし、生後九日目で髄膜炎という病にかかってしまい入院して
しまった。敗血症という血液に細菌が入り全身に菌が回ってしまう
合併症にもかかり、重篤だった。               
 人工呼吸と点滴だらけの小さな体を見て、私は涙が止まらなかっ
た。昨日までは、よく母乳を飲みよく寝て順調だと思ってたのに、
こんな辛い思いをさせてしまったと自分を責めても責めきれないく
らいの悔しさと悲しさでいっぱいだった。           
 毎日泣いてばかりだったが、周りを見ると子供病院だったので、
たくさんの子供たちとその親が病気と向き合っていて、辛いのは自
分ばかりではないんだな、みんな頑張ってるんだと思い、勇気づけ
られ、励まされた。泣くのをやめて、お薬師様の真言「オン コロ
コロセンダリマトウギ ソワカ」を唱えて、よくなるように祈るこ
とにした。そして、家族の支えがあり、なんとか乗り越えることが
出来た。                          
 大雲は本当に頑張って、入院二ヶ月半で退院できた。脳の炎症が
激しく、傷が残ってしまったため、後遺症が残るかもしれないと医
者から言われている。しかし、今のところは、大病したとは思えな
いほど元気に成長している。                 
 不安や心配は尽きないが、どう後遺症が残ろうとも、私にとって
はかわいく、愛おしい子供にはかわりはない。たくさんの愛を受け
て大きく育ってほしいと思う。                
 今回の事で、人は一人では生きられない。たくさんの人に助けら
れ、支えられているのを実感した。そして、人は、身近な人の愛の
ある言葉によって、救われるし、がんばれると思った。     
                         祐海 合掌




『じぶん』                平成16年1月1日
 お陰様で娘は1才5ヶ月になり、私のお腹の中には8ヶ月目の子
を授かっている。予定日は3月なのだが、もう生まれてきてもおか
しくない状況になってしまい、今は、もう少しお腹にいて下さいと
もし早く生まれてしまっても無事でありますようにと、ただ祈るだ
けである。                         
 妊娠していると、意味もなく落ち込んだりしてしまうことがある。
気分の浮き沈みがあって自分でもコントロールするのに大変だなっ
て思う。こんな時、自分を救えるものってなんだろうって考えた。
 家族?                          
 お金?                          
 宗教?                          
 確かに家族は辛いときにそばにいて支え、見守ってくれ大きな力
になる。でもそこでその力を自分のものに出来るか出来ないかは自
分である。いつまでも家族に甘えていては何もならないから。  
 お金はどうか。実際、お金は無いよりあった方がいいに決まって
る。しかし、お金ばかりに執着してるとお金では買えない大切なも
のを忘れ、お金に振り回され、結局は自分を見失ってしまうよね。
 宗教が一番、あなたを救えるのは宗教しかないなんて書いたら、
あやしい宗教になっちゃうね。実際、手を合わせて心静かにして祈
ると落ち着いたり、救われた気がするけど、宗教は、自分の心の運
転マニュアルというだけで、実際に運転するのは自分なんだ。  
 結局、自分を救えるのは自分しかいないんだよ。一人の力だけで
は生きられないけど、周りの力を借りて、自分で一歩一歩進んでい
くんだよね。                        
 これをおシャカさまは自灯明・法灯明って説いたんだよ。   
 自とは自分のこと。法は教え・仏教のこと。仏教が先じゃなくて
自分が先に来ているよ。先ずは自分の足下を照らし、しっかりと歩
み、それから仏の教えをよりどころにしなさいと説かれたんだ。 
 辛いときは泣けばいい、失敗してもまた歩けばいい、昨日は死ん
だ時間、明日はまだ生まれてない時間、生きている時間のたった今
を大切にすればいいんだよね。           祐海 合掌




『おばけ』                            平成15年7月21日
 夏になると、背筋が凍る怪談話でも聞いて涼しくなろうとするせ
いか、ラジオやテレビなどでお化けの登場が増えてくる。        
 お寺に住んでいると、「怖くないの?」とか「お化けいるの?」
「幽霊見たことある?」と聞いてくる友達がいる。もしかしたら、
ほとんどの人が思ってる疑問かもしれないね。                  
 確かにお墓は、亡くなったら入るところで、そのお墓がいっぱい
あるお寺は、お化けが見えてもおかしくないと思うのだろう。    
 しかし、亡くなったら住職が供養し引導を渡し、極楽浄土へ旅立
っているわけだから、お墓があるからお寺は怖いというのはおかし
な話である。お墓は、極楽浄土へいらっしゃる亡くなった仏様に出
逢えるところで、むしろ、神聖で、安らかなところなんだよ。    
 実は、ご先祖様が祟ったり、亡くなった人が幽霊となって悪さを
するというのは、生きている人がつくり出すものなんだ。生きてい
る人が、恨んだり、怒ったり、妬んだりする心によって、お化けが
つくられるのである。今自分が見ている世界は、自分の心を通して
見ている。真実だと思って見ている現実は、ただのスクリーンで、
見えているものは全て心の映写機で写し出されている世界なのであ
る。 人のせいにしたり、社会のせいにしがちだけど、自分の心が
変わらなければ、何も変わらない。だから、私たちが、いつも笑っ
ていれば、亡くなった仏様はいつも笑顔で見守ってくれている。  
 お化けがいるかどうかは、自分の心に聞いてみてください。    
                      祐 海  合 掌 




                      平成15年1月1日
 私は今、昨年夏に娘を出産し、子育て奮闘中です。出産した病院
の先生に「先に生まれた方が偉いのではないのですよ。赤ちゃんに
はたくさんのことを教わる。赤ちゃんを先生だと思って育てなさい」
と言われた事が心に残っている。                              
 ニュースで自分の子供を虐待してしまう親を聞く。今までは、ど
うしてそうなってしまうのか分からなかったが、子育てをしてみて、
一人で子育てをしていたら大変だろうなと、虐待は絶対してはなら
ないが、ノイローゼになってしまう気持ちも分かるような気がする。
私は、娘を両親や檀家さんなど多くの人に育ててもらっていて、こ
の環境に感謝している。これからどんどん成長し社会へ出て行くが、
娘には、競争社会のこの世の中で、人の評価が気になったり、良い
結果を出すことが全てになっては欲しくないと思う。自分の評価は
自分で決めるものだし、結果ばかり気にしていると、難しいことに
は挑戦せず、努力しなくなってしまう。結果が全てではなく、たと
え失敗したとしても、挑戦し努力していく過程が大切なのである。
 御詠歌の名取先生に頂いた絵手紙の言葉に『最初の いただきも
の この命』と書いてあった。当たり前のように生きていた私だが
、命を授かりこの世に誕生してくる娘を目の当たりにしたとき、名
取先生の言葉の本当の意味が分かった気がする。本当に赤ちゃんに
は多くの大切なことを気づかせてくれる、仏様なんだなぁ〜。    
                       祐 海  合 掌 




                     平成14年8月1日
 「幸せの星の下の生まれた」と母が私に子供の頃よく言っていた。
 母は0才の時から小学生頃まで小児喘息で発作がとても苦しく、ま
 た元気に外で遊べなくてよく寝ていたそうだ。そんな中でも「私は
 幸せの星の下に生まれたんだ。だから大丈夫。」と思っていたそう
 だ。今は「よっぽど自信家だったのかしら」と笑って言ってるけれ
 ど。 人それぞれ環境が違うので、人と同じ条件での幸せなんてあ
 り得ない。だから、世の中不平等なのかもしれない。しかし、どん
 な状況下でも、この世に命を授かったという点は全員平等なのであ
 る。そう、みんな幸せの星の下に生まれたのは同じである。   
  しかし普段の私たちは、『ガツガツ・イライラ・ムカムカ』と心
 が不平不満や怒りばかりで、大切なものを見失ってしまう。せっか
 く幸せの星の下に生まれたのだから、今ある自分に感謝し、他人を
 思いやり、普段の生活から手を合わせる心を持ちたいものだ。  




 『君に出会えて良かった』        平成14年1月1日
                              
  部屋の掃除をしていたら、懐かしい絵本が出てきた。表紙をめ
 くってみたら、小学校六年の私と当時の担任の先生が写った写真
 が貼 ってあった。そうこの絵本は、六年の担任の先生が卒業する
 ときに送ってくれた物だった。写真の下には『君に出会えて良か
 った』と  書いてあった。この言葉を見て、その当時私はどう思
 ったかは覚えていない。とても冷めてた小学生だったから、どう
 せみんなに同じ事書いてるのだろうとしか思わなかったかもしれ
 ない。しかし、十五年経った今見てみるとこの『君に出会えて良
 かった』という言葉は私の心の中の何かがポッと暖かくなった。
 今まで二十七年間生きてきて、私なりにたくさんの出会いがあり、
 また悲しい別れもあった。その中で、何回『君に出会えて良かっ
 た』と思っただろうと思い返した。             
  私の出会いの中で楽しい事もたくさんあったけど、悲しい事や
 悩んだ事、苦しかった事もあった。もしかしたら、出会えて良か
 ったなんて思った事なんてほんの数回しかないかもしれいとも思
 ってしまう。しかし出会えて良かったと思うのも悪かったなって
 思うのも自分次第だと思った。色々な周りの人に出会って、色々
 な人に支えてもらって、私がいると思えば、全てが自分にとって
 素晴らしい出会いなのだろう。               
 仏教では、仏様は一人一人の心の中に住んでいると説いている。
 私の中にも仏様は本当にいるのか、また、どんな顔をしているの
 だろうと常々考えている。そう思うと、十五年前に先生から贈ら
 れた言葉に私の心がポッと暖かくなったのは、私の中にいる仏様
 が熱くなった瞬間のように思う。自分自身がここに存在している
 と思えた瞬間でもあった。                 



                                            平成13年8月1日
  最近、「お〜い、野菜がとれたぞ〜」と本堂の裏にある畑から、
 毎朝住職の声が聞こえます。住職が全て土を耕し種まきから草取り
 水やりなどやってます。その甲斐あってこの猛暑にも負けず、豊作
 豊作!毎日たくさん新鮮な野菜が食べれて幸せ〜。       
  私は食べる一方で何もやってないのですが、ふと思いました。畑
 と人の頭は似てるなと。畑は土を耕して柔らかくして栄養をやって
 よい土ができる。人の頭も耕して柔らかくしないと堅くなって痩せ
 てしまうな〜って。水をやって環境をよくしなければ土はぱさぱさ
 になってしまい、いくら種をまいても実りませんものね。    
  頭という畑を耕して、新しいことを受け入れられる様に柔らかく
 し、仏心という芽を育てていきたいなと思いました。      
                  祐 海 合 掌      



                      平成13年1月1日
  人は『かたち』ばかりにとらわれている。          
 
  私はある人と話していた。その人は田舎に母親を一人残して街に
 住んでいる。母親が弱ってきたから、田舎へ帰って一緒に暮らした
 方が良いのかもしれないが、近所付き合いが大変だから田舎に戻る
 というのは勇気がいると話していた。             
  近所の人がうるさくて、付き合いが面倒だと思う人も多い。実際
 そうなんだから仕方ないかもしれない。でも、どうして、そういう
 付き合いをするようになったか、近所の人も自分も考えるべきだろ
 う。元はと言えば、自分は一人ではいきられない。周りの人に支え
 られて生きている。その感謝の気持ちの現れから近所付き合いとい
 うものが始まったのだろう。元々の心の部分を忘れてしまって、形
 式ばかりにとらわれてしまう。                
  私は「目が一重だから二重にしちゃおうかな?最近動かなくてば
 くばく食べてたら太って来ちゃったよ。ね〜お父さんはやせてるの
 と太めどっちが好き?」と聞いてみた。そしたら「コツと付き合っ
 てるから関係ないよ」と言われてしまった。コツとは骨のことで、
 人は死んだらみんな骨しか残らない。生きてるときは、骨に肉が付
 いてる、ただそれだけ。要は外見がどうではなく中身、目には見え
 ない心が大切なんだ。だそうです。              
  ふむ〜なるほど…。『かたち』ばかりにとらわれて、翻弄し、惑
 わされる事が多い。『かたち』には出来ないものにもっと目を向け
 て目で見るのではなく、心で観なくてはいけなのねと反省しました。
                  祐 海 合 掌      


                                    平成12年7月20日
   『本当の世界?!』                    
  仏教では六道という六つの世界があると言われている。それは、
 あらゆる責め苦を受けるもっとも苦しい世界の『地獄』、飢えと渇
 きに苦しめられる世界の『餓鬼』、虫や鳥、魚も含めた動物の世界
 無知ゆえに苦しみが多くて楽しみが少ない『畜生』、怒りに満ちた
 闘いの世界の『阿修羅』、苦楽あい半ばする私たちの世界の『人』
 六つの世界でもっとも安楽を得られる世界の『天』である。   
  このいずれかの世界に生まれて、死んだら別の世界に生まれ変わ
 る。生まれては死に、生まれては死に、私たちは永遠に生死を繰り
 返す。その様子がまるで車輪が果てしなく回り続けるようだという
 ので、「輪廻」と呼ばれている。ぐるぐる回ってる六道の世界から
 飛び出して、永遠の安心を得る悟りへの道・仏の世界へ行こうとい
 うのが仏教が始まった起こりである。             
  地獄とか餓鬼とか実は、そう言う話は嫌いだった。だって、空想
 の話のようで本当にそのような世界があるの?って思っていたから、
 しかし、私たちが生きているこの世界は本当に人界だろうか?と思
 った瞬間、考えが変わった。                 
  自分や周りの人の心、世間では残虐な事件があったり、戦争をし
 ている国もある…ということを考えると、六道の世界はあると思っ
 た。ただ人間という着物を着ているだけで、この外見を取り払って
 中身・魂だけを見てみると、まさしくそこは、六道の世界が存在し
 ているではないか!                     
   八月十七日、徳星寺では毎年「施餓鬼会」を行っている。本来は
 悪道に落ちて飢餓に苦しんでいる霊を救うため、飲食物を施して供
 養する法会である。また現在では、餓鬼にとどまらず、先祖の供養
 や無縁の霊、戦争や事故で亡くなった方の霊を広く供養する法会に
 なっている。今年からは、その供養に加え、今、中身の自分は六道
 のどの位置にいるか気づく機会にしたい。そして少しでも仏様の心
 に近づけるよう、悟りへの憧れをもって生活したいものだ。   
              祐 海   合 掌         


                     平成12年1月1日
  『きらきら輝く』                    

  最近、週2〜3回、私は小学3年から6年生の女の子にバスケット 
 ボールのコーチをしている。自分は中学から大学までバスケットをし 
 ていてバスケットが好きだし、子供も好きだから好きなものが二つ同 
 時に出来るなんてと軽い気持ちで始めてみた。でも、やってみたら難 
 しいことが分かった。何が難しいかと言うと、言葉で説明してもなか 
 なか理解してもらえないところ。何事、ものを教えるというのは、奥 
 が深くて大変なんだと思った。でも、子どもたちのあのきらきらとし 
 た目で見つめられると、がんばろうって気になる。         
  ここで私が気を遣ってることがある。スポーツって上手い下手とい 
 う能力の差が明確に出てしまうとても厳しいもの。でも、上手いから 
 と言ってその子だけをのばすのではなく、下手だからと言って切り捨 
 ててしまうような教え方はしたくない。厳しい中でも自分の役割とい 
 うものをそれぞれが見つけだして欲しいと思っている。自分の得意と 
 するものを見つけて生かして欲しい。プレーだけではなく、チームの 
 仲間を大切に出来るように、お互いをけ落とすのではなく、認め合っ 
 て、助け合いながら、上手くなっていって欲しいと思う。それぞれの 
 きらきら輝くものをどんどんのばしていって欲しいと思う。     
  私は子供たちのきらきら輝く目を見ながら、いつもそう思うのであ 
 る。いつになっても、まぶしさって失ってはいけないのだと。    
                           祐 海   合 掌


                   平成11年7月20日
人生に無駄はない。
人生に失敗はない。
人生に負けはない。
  人生の無駄・失敗・負けって一体誰が決めるのだろう。また、どう
 やって決めることなのだろう。それは、他人が自分と他人を比べたり
 自分が自分と他人を比較して決めるのである。          
 人間の物差しは損か得か、幸か不幸か、勝ちか負けかなど全て他者と
 比較している。この物差しは全てだと思いこみ、人は悩む。しかし、
 人の物差しは、ある一部分しか見ていないし、比較する基準も他者と
 の比較から生まれた価値観にすぎないのだから、当てにはならないよ。
 仏の物差しで見てみれば、その人が、人生を無駄・失敗・負けって思
 いこんだものは、本当はその人にとって、素敵な経験であり、大切な
 人生の一ページなのだ!                    
 全ては生きていることに価値があり、意味がある。でも、その価値や
 意味は人につけてもらうのではなく、誰かと比較するものでもない。
 全てを見ている自分の中にいる仏様が自分自身の人生に価値や意味を
 プレゼントするものだ。                    


                      平成11年1月1日
  「まわりの力」                      
  昨年十月に前住職が亡くなった。その一ヶ月後、豊山派管長猊下を
 お迎えして大きなお葬式が行われた。この一ヶ月間は、たくさんの人
 が動いてくれた。自坊の者だけで出来たのではない。たくさんの人の
 力によって出来たものだ。私は何をしたのだろうか?何もしていない
 ような気がする。私だけ時が止まっていて、周りの人の働きが感じ取
 れる感覚だった。その時の私は、「まわりの力」というものに気づく
 ことが出来た。一つのものを動かすのには一人では出来ない。多くの
 人の助けによって出来るのだと思った。             
 このことはすべてのことに言えるのではないだろうか?種だけがあっ
 ても花は咲かない。土や水、太陽などまわりの縁によって花を咲かす
 ことが出来るのだ。決して一人で出来るものなどない。だから、人は
 謙虚にならなければならないのだ。自信過剰になると、自分は偉いと
 か、自分は出来る、何でも一人でやってきたなどと思うだろう。また
 反対に自信喪失になると、自分はダメだ、自分は何もできないと思う
 だろう。これらの考えは、自分が自分がと言って自分しか見えなくな
 っている。自分しか見えなくなっていると「苦」しか生まれないもの
 だ。                             
  インターネット上で自殺のホームページが多いという。そして、自
 殺願望者に毒薬を売った事件があった。読売新聞に自殺も遊び感覚化
 が進んでるのでは、と言う記事があった。彼らは、生きているのだか
 死んでいるのだか実感が湧かないのだろうか?いやいや、ただ彼らは
 自分しか見えなくなっているのだろう。彼らだけではない、日本人の
 ほとんどがそうではないだろうか?我が前に出て自分がかわいくって
 仕方ない。でも、もっと大きな広い目で見てみると、私たちはあらゆ
 るまわりの縁によって生かされてることに気づくはずだ。     



                     平成10年7月25日
  「幸せ」について。                     
  今、幸せですか?                      
  普通「幸せ」というと、「結婚するから幸せ」だとか、「お金持ち
 だから幸せ」とかそういうものを考えがちだけれど、このような世間
 的な幸せは、一夜にして崩れることもあるでしょ? そうなると、い
 つ壊れるか、不安で仕方ないよね。そんな幸せって、本当の幸せなの
 かな? 本当の幸せとは、苦しくたって、悩みがあっても、幸せと感
 じられるものだ。どんなに周りが変わっても、「幸せ」は変わらない。
 これが、仏教で求める幸せなのだと思う。            
  一見難しくて、私には出来ないって思う人がいるかもしれない。でも
 難しいことはないし、誰にでも出来ることなのだ。ただ「生きている」
 ということに気づけば良いだけのこと。何気なく、起きて、食べて、 
 働いて、寝るという過ごし方の人が、多いと思う。でも、生きているっ
 て実感すると、一つの行動にしても、感謝する気持ちが湧いてくるもの
 だ。悩んで辛くても、生きているからそう感じることが出来るのだと思
 え、楽しくてシアワセの時は、思いっきり感謝する。そうすることによ
 って、ありのままの、今の自分に満足することが出来、「幸せ」が後か
 ら付いてくるものなのだ。                    
 では、誰に感謝すれば良いの? それは、もちろん命を授けてくだっさ
 た仏様やご先祖様に。そして、お寺に行ったり、お墓参りをしたり、 
 家に仏壇がある人はそこで拝んだりすれば良いのだが、一番身近にい
 て、いつでも何処でも、感謝の気持ちを伝えることが出来る、自分の
 心の中にいる仏様に感謝すれば良いのだ。            
 こんな気持ちになれれば、不況だの、世紀末だの騒いでる世間なんて
 ちっとも怖くなんか無いですよ。