2002年12月の今週の一枚
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チャイコフスキー/ピアノ三重奏曲イ短調Op.50「偉大な芸術家の思い出」
同/「四季」Op.37b(ベコヴァ・シスターズ編)
 ベコヴァ・シスターズ
 CHANDOS CHAN9719(2)
 チャイコフスキーのピアノ曲集「四季」に接した後世の少なからぬ人々が、それを完成された絵画というよりも、デッサン集であるととらえたのだろうか。現在にいたるまで、この四季には管弦楽、室内楽、そして独奏楽器+ピアノ伴奏など、さまざまな編曲版が存在している。もちろん「四季」は、この曲自体、完成されたピアノ作品なのではあるが。
 超有名なのは、ガウク編曲による管弦楽版で、これはスヴェトラーノフの爆演CDにより普及。個人的には、ゲリンガスの指揮による弦楽合奏版が好き。並み居る編曲版中でも、もっともチャイコの世界に近いかも。また、曲間に詩の朗読も入っていて、イイ雰囲気ッス。鈴木もえみお姉さんの朗読でやりません?>ベルデの皆様。
 室内楽版では、チェリストのトーマス=ミフネの編曲で弦楽四重奏版の楽譜も出ています。けっこうオタッキーな編曲で、編曲版のくせに難しかったりします。CD化してくれい。
 今回紹介するピアノ三重奏版は、演奏するベコヴァ・シスターズ自身による編曲。ベコヴァ・シスターズはCHANDOSレーベル所属のピアノ三重奏団で、文字通りカザフスタン出身の三姉妹からなる。リムスキー=コルサコフのピアノ三重奏曲などのロシアものに加えて、レベッカ・クラークやフランクなどの珍しい三重奏作品、さらには「展覧会の絵」の三重奏版編曲など、ピアノ・トリオのレパートリーにとらわれない演奏活動に意欲的だ。ただ、彼女たちのチャイコフスキー「偉大な芸術家の思い出(この「四季」と併録)」などを聴くと、もう一つ表現への深みが欲しいと感じてしまうし、なんつーか、いたずらに「ケバい」ジャケ写真が、イロモノ的印象を擦り込んでしまうのが、非常に残念だったりする。
 さて、彼女たちの編曲版は、原曲の持つ雰囲気には忠実で、まずは合格点といったところ。ただ、チャイコが「偉大な芸術家〜」で見せたようなドラマ性は当然のことながら、この編曲からはあまり聞こえてこない。まあ、曲想が全然違うから仕方が無いのではあるが、演奏家による編曲版の一つの限界なのかもね。
 さて、今週のこのディスクが2002年の最後の紹介の一枚。終曲の「クリスマス週」でも聞きつつ、この一年の思い出を走馬灯のようにめぐらしてみるのも、また一興。
〜2002年12月第4週紹介〜
ドヴォルザーク/テルツェット ハ長調Op.74
コダーイ/セレナードOp.12
タネーエフ/弦楽三重奏曲ニ長調Op.21
ブリッジ/トリオ・ラプソディ
 ジャパン・ストリング・トリオ
 岡山潔・服部芳子(Vn)、深井碩章(Va)
 signum SIG X44-00
「タネーエフっていつ頃の作曲家なんですか?」
という、今いっしょにトリオOp.21に挑戦している2nd.Vn女史の素朴な疑問に
「チャイコの後輩にあたる作曲家だよ」
などと答えると、
「へえ。そんなに新しい人なんですか」
という感嘆。
 たしかに、ロマン性よりは厳格な形式性が優先されているこの曲の第1楽章を聴くと、一見、シューベルトあたりと同時代人に思えるかもしれない。少なくとも、作風ではチャイコの後輩というよりは先輩だわな。
 第2楽章にスケルツォではなくわざわざメヌエットを持ってきたところも、時代錯誤的な古典趣味だ。ところが、このメヌエットが一筋縄では行かない。メヌエット主題に所々半音階的な伴奏部、そしてまったく新しい動機をパズルのように絡ませていて、三重奏編成とは思えないほどの奥行き感。まあ、これも目新しさというよりは、「対位法オタク」ここに極まれり、といったところなのだが。
 この曲を知ったのは、今からもう10年も前になるだろうか。ドヴォルザーク目当てで買ったCDに入っていたこの曲が、本郷のアカデミア楽譜店のリストに載っていたのを偶然見つけて、譜面もほぼ同時期に手に入れた。ただ、当時はどちらかというと近現代作品好みだった嗜好と相容れず、ずうっとお蔵入りだったわけだ。どちらかというと、併録のコダーイのセレナードがカッコイイぜい! ということで、こっちの譜面も手に入れて弾いてみたりもしたのだが、みごとに玉砕(苦笑)。ちなみに、このセレナードはタネーエフのトリオの8年も前に書かれています。
 そんな10年の歳月を経て、再びめぐり逢ったトリオOp.21。マジに弾く方をさらうと、聴く方でもいろいろな発見があっておもしろい。日本人の室内楽名手3人を揃えたこのCDの演奏はひどくうまいが、ちょっと冷厳でもある。コダーイやブリッジにはそんな点が非常に似合ってもいるのだが、ドヴォルザークやタネーエフにはもう少し「遊び」があってもよい。タネーエフの生真面目さは、もう少し鷹揚に処理されてこそ生きてくるのではないかというのが、この曲に取り組んでる今の感想であり、鷹揚な自分たちの演奏への自己弁護でもあるのだ。
〜2002年12月第3週紹介〜
シェバーリン/弦楽四重奏曲第1番イ短調Op.2
同/弦楽四重奏曲第2番変ロ長調Op.19
同/弦楽四重奏曲第3番ホ短調Op.21
 クラスヌイSQ
 Olympia OCD663
 ショスタコの弦楽四重奏曲15曲を全部聴いてしまい、次は何を聴く? などと質問されたら、そりゃあーた、シェバーリンでしょう。
 1902年生まれと、ショスタコに比べると4歳年長。長らく彼の弦楽四重奏曲は、一部を除いて霧の中にあったのだが、3年前からリリースされたクラスヌイSQの分売全集により、その9曲の作品にようやく光があたったのだ。パチパチ。
 さて、彼の弦楽四重奏曲における最盛期は中期、それも大戦中に書かれた第4〜6番の3曲だったりするのだが、今回紹介する初期〜中期にかけての3曲もなかなか聴かせます。
 シェバーリンの弦楽四重奏曲の魅力は、ずばり「色彩感」。21歳のときの作品である第1番にして、ところどころにラヴェルばりのヴィヴィッドな色調が出てきて楽しめます。もう円熟期の作品といっていい第3番などは、師のミャスコフスキー譲りの叙情性を下敷きに展開される、鮮明な音楽が素敵だ。
 そう、このころのシェバーリンの作品は、ミャスコフスキーの完全な影響下にあると思う。でも、ミャスコフスキーの弦楽四重奏曲が晦渋で陰性なイメージにあるのに対し、シェバーリンのそれはわかりやすくて陽性。聴いていると、ミャスコフスキーの音楽の特性までわかってくるのがおもしろい。
 無駄のない、引き締まった体格の弦楽四重奏曲を書きつづけたショスタコーヴィチに比べると、シェバーリンのそれは完全に贅肉質。でも、その音楽の本質は、いかに大衆や体制に喜んでもらえるか? という命題を追求しつづけた、エンターテインメント性にあるとおもうのだな。「ストイックな芸術性」と「わかりやすいエンターテインメント性」を比較した場合、大局的に「二流」の烙印を押されてしまうのが後者である、ということもまた明白な事実なのだけれど。
〜2002年12月第2週紹介〜
ルビンシテイン/弦楽四重奏曲第1番ト長調Op.17-1
同/弦楽四重奏曲第2番ハ短調Op.17-2
 コペンハーゲン王立SQ
 ETCETERA KTC1131
 国民楽派グループの中の極右的保守的作曲家(たとえばチェコのフィビヒ)などの曲は、よく「メンデルスゾーン的」などと評されることが多い。アントン・ルビンシテインにしてもしかり。でも、ぼくに言わせりゃ、少なくともプロの評論家などがそんなたとえを使うのは、あまりにも不勉強だ。
 メンデルスゾーンの曲に、あの涙もろくすり寄ってくるような、人なつっこさがあるだろうか? 英雄叙事詩に登場するような、カッコイイヒーローがきらびやかに現れるだろうか?
 スケルツォも、妖精たちが飛び跳ねるようなメンデルスゾーンのものに対して、ルビンシテインのそれはいわば“悪魔的”。不思議と煙草のヤニくさい体臭がするんだよねえ。この人のスケルツォ。
 また、くだらんたとえでスマヌが、メンデルスゾーンは、一昔前の学園ドラマでは、「金持ち美形病弱趣味は刺繍と詩集」キャラにキャスティングされる。それに対して、ルビンシテインはスポーツ万能成績優秀の生徒会長(当然美形)ね。ぼくの中では、この2人の間にはこれだけの違いがある。ちなみに、バラキレフは生徒会長に嫉妬しまくる柔道部キャプテンで、キュイはそのタイコ持ち。チャイコは……ああもう好きにキャスティングしてくれいッ!
 アホなこと書いている間に、こんなに紙面を使ってしまった。
 さて、ルビンシテインの10曲の弦楽四重奏曲のうち、録音が聴けるのは、最初期の第1番&第2番、しかも上記のCDのみだ。この2曲の録音を聴くにつけ、この先駆的作曲家の非凡な才能を一人思い知るのだが、絶望的な録音の少なさに、ため息をつくばかり。交響曲やピアノ曲はさんざん録音されているのにねえ。
 実は、いま手元に「第2番ハ短調」のパート譜があったりする。ドトウの刻みの上に男臭い熱情が駆け抜けていく終楽章が、文句無しにカッコイイ。奇を衒わない一本気な曲なのだが、そんな男気がまた素敵なのだよ。
 ああ、ルビンシテインさまあ(←ドキンちゃんの口調で)
〜2002年12月第1週紹介〜