2003年3月の今週の一枚
2003年
3月
グリエール/4つの小品
 ・前奏曲Op.32-1  ・スケルツォOp.32-2
 ・間奏曲Op.9-1  ・タランテラOp.9-2
クーセヴィツキー/3つの小品
 ・悲しい歌Op.2  ・ユモレスクOp.4
 ・小さなワルツOp.1-1
シューベルト/アルペジョーネ・ソナタ 他
 ウルフ(Cb)、フェルドマン(Pf)
 TITANIC Ti-255
 ブラームスとヨアヒム(Vn)、近代イギリスの作曲家たちとターティス(Va)……そんな例を引くまでもなく、作曲家と楽器の名手=ヴィルトーゾとの交流が作曲家の創作にインスピレーションを与え、またその楽器のレパートリーの拡充や奏法の発展に大きく寄与してきたことは、音楽史上の常識。
 ロシア・ロマン派最後の巨匠として、革命ソヴィエトを生きた作曲家グリエール。彼にも、インスピレーションを与えた親友の弦楽ヴィルトーゾがいたんですよ。そのヴィルトーゾの名は、セルゲイ・クーセヴィツキー(以下、クーセ氏。クセー氏などと読まないように)。当代きっての名コントラバス奏者だ。
 現在は、ボストン交響楽団を育て上げた巨匠指揮者として有名なクーセ氏。革命後にアメリカに渡る以前は、むしろベーシストとして知られていた。作曲の才もあり、コントラバス協奏曲をはじめ、いくつかのベース・レパートリー(このCDにも3小品が収録)を残している。あ、貧窮のバルトークを救うため「管弦楽のための協奏曲」を依頼した、というエピソードにも登場するな、クーセ氏。
 さて、グリエールが親友のために作曲したコントラバス小品4点。より若いころ(25歳のときだ)に書かれたOp.9の2作品が良いぞ。第1曲の「間奏曲」は、チャイコフスキーの「メロディ(なつかしい土地の思い出)」に、夜想曲テイストを加味したような作品。第2曲「タランテラ」、これがまた良い。主部は、チャイコの「イタリア奇想曲」の後半部分を彷彿とさせる熱狂の舞曲(コントラバスの技巧&音域総動員だ)。いったい、チャイコの亜流と呼ばれる作曲家はあまたいるが、初期のグリエールほどチャイコを良く真似た作品を書いたものはいないだろう。晴れがましい栄光の歌を、はにかみながら歌い上げていく「タランテラ」の中間部を聴いていると、チャイコがこの青年作曲家に憑依してしまっているのではないだろうか、という錯覚にすら陥る。
 それにつけても、こんな佳品を残してもらっているコントラバスという楽器がうらやましい。グリエールの親友に、彼にインスピレーションを与えるほどのヴィオラ弾きがいなかったことがうらめしい。改めて彼の作品表を見ても、「Va」の文字が全然見えないことがうら悲しい。きぃぃーっ
 うーん、以前このコーナーでグリエールの弦楽デュオを紹介したときに感じた悔しさが、またふつふつと沸いてきたぞ。こうなったら、編曲してでも弾いてやるぞ、グリエール。というわけで、グリエールの弦楽デュオの編曲をひそかに企図中なのである。
〜2003年3月第4週紹介〜
ラフマニノフ/チェロ・ソナタ ト短調Op.19
ミャスコフスキー/チェロ・ソナタ第2番イ短調Op.81
 トゥロフスキー(Vc)、エドリーナ(Pf)
 Chandos CHAN 8523
 いまさらながら書くが、本来、ラフマニノフとかミャスコフスキーあたりの室内楽って、決してとっつきやすいもんじゃあないよなー。
 ラフマニノフなんか、「ピアノ協奏曲第2番」や「交響曲第2番」の感動を求めて「悲しみの三重奏曲」を聴いたりしたら、「あれ?」なんて思うよな。なんだかちょっと物足りない感じ。「ラフマニノフ作曲」という冠詞がつかなければ、曲自体を見失ってしまうような危うさ。まあ、聴いているうちにじわじわと利いてくる味わいがあるんだけれどね。
 ミャスコフスキーの初期の弦楽四重奏曲は、この「今週の一枚」で二度も紹介しておいてなんだが、やっぱり聴く者を拒絶するような晦渋さがある。盟友の「あのオカバヤシ」ですら、このHPを見てミャスコフスキーのSQ某番を聴いた結果、苦虫を噛み潰したような感想メールを送ってきたくらいだ(ちなみに20世紀ウラ・クラシック!には、苦虫汁を100分の1の濃度に薄めたような盤評が載っているので、チェックしてみて)。
 では、この二人の作曲家の場合、「露室楽入門編」として何を聴けばいいのか? それはですね、チェロ・ソナタなんですよ。
 ラフマニノフのチェロ・ソナタ(チェロのオブリガート付きピアノ・ソナタといっていいくらいピアノが活躍)は、各楽章の性格が驚くほどに「交響曲第2番」に酷似。第2楽章スケルツォの中間部には、「交響曲第2番」の循環主題(第3楽章のサビ・メロになっている泣かせ系のアレです)のそっくりさんも登場して、涙腺を刺激してくれます。ああ。じわじわ。
 刺激された涙腺は、ミャスコフスキーのチェロ・ソナタ第2番の冒頭でもって、一気に堰を切られる。あぁ。オイオイ(泣き声です)。
 ぼくにとっての、この二人の作曲家との露室楽的出会いは、幸いなことにチェロ・ソナタであった。おかげで、ミャスコフスキーなんて「美しく儚げな旋律を書ける作曲家」なんて完全に誤解してしまったもの。初期の弦楽四重奏曲を聴いたときの衝撃は、オカバヤシ以上だったかも。虚像も含めてお慕いしていた女性の、あられもない過去を知ってしまったような気分だ。
 さて、このCDのチェリストは、ボロディン・トリオのメンバーでもあるトゥロフスキー。実力ほどには評価も人気も高くない人だが、粘り気のある音色が、この二曲にはとてもよく似合っている。一度おためしあれ。
〜2003年3月第3週紹介〜
グリンカ/悲愴三重奏曲ニ短調
同/ひばり(バラキレフ編)
同/ヴィオラ・ソナタ ニ短調
同/ワルツ・ファンタジア
同/アリャビエフの「夜うぐいす」変奏曲
アリャビエフ/ヴァイオリン・ソナタ ホ短調
 トヴェルスカヤ(フォルテピアノ)
 ローソン(Cl)、グラッツィ(Fg)
 ブルーメ(Va)、チャンドラー(Vn)
 Opus111 OPS30-230
 こう見えてもワカゾーのころは、唯一神教的“レコ芸原理主義者”のようなところがあって、神のありがたき啓示の書“レコ芸”を片手に自らの趣味を確立する反面、排他的偏狭民族主義なクラシック・ファンへと自らを追い込んでいるところがあった。
 そんな折、ズッカーマン(だったと思う)のインタヴュー記事で、オリジナル楽器による演奏をこき下ろす発言を発見した原理主義青年は、すぐさま“オリジナル楽器”めを不倶戴天の敵として規定した。ただし、原理主義者とは言っても分別はあったから、演奏会場へのテロ攻撃などの蛮行には走らず、「とりあえず聴かない」という小市民的消極策に終止した挙句、ただの“聴かず嫌い野郎”として最近にいたった。
 その間、「ブランデンS原」「ノリントン・フリークのK氏」などという“異教徒”との接触があったが、ぼくの方も酒席で彼らに“宗教論争”挑むようなコドモではなくなっていた。すでに“レコ芸”からも卒業していた。そして出会ったきわめつきの“異教徒”が「バロック・ヴィオラのU氏」であった。
 “オリジナル楽器”というよりは、“改造車”のような印象を受けるバロック・ヴィオラを弾くU氏。アマチュア市民オケ活動からは身を引き、修道僧のようにバッハの無伴奏を弾く氏は一見筋金入りの偏屈野郎(失礼)だが、この露室楽HPの熱心な読者の一人。暖かい激励や厳しいツッコミのメールをしばしば発信してくださる慈悲・寛容の精神に満ちた(誉めすぎ)の人でもあるのだ。
 そんな氏の寛容の精神に応えるべく、古楽器による露室楽ディスクを取り上げてみることにした。お題はグリンカ。ピッチの低さやフォルテピアノ特有のペキペキした音色が気にならんでもないが、物静かな容貌のなかに抑制されたロマンティシズムをたたえた演奏で、これはぼくのような人間が聴いても面白いと思う。
 どうすか、U氏。こんな露室楽ディスクは。気が向いたら聴いていただけたら嬉しいです。そのうち、グリンカのヴィオラ・ソナタにも挑戦してみてくださいよ。
〜2003年3月第2週紹介〜
メトネル/ヴァイオリン・ソナタ第1番ロ短調Op.21
同/ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ短調Op.57「叙事詩」
同/「夜想曲」第3番ハ短調Op.16-3
 ラブコ(Vn)、スヴェトラーノフ(Pf)
 Russian Disc RDCD11017
〜思索の海にひたるとき〜
「マスター、コーヒーを飲みながらあれこれと考えごとをするときにピッタリな曲ってないかしら?」
 私がマスターをつとめる名曲喫茶に最近よく顔を見せるようになったお嬢さんから、ある日こんな質問を受けた。
「ラフマニノフなんかどうかしら」と、下手な声で「ヴォーカリーズ」をハミングしてみたところ、
「ラフマニノフもいいんですけれど、悲しい感情が心に入り込みすぎるような気がしますね。もう少し冷静に、自分自身を見つめなおしながら聴ける曲ってないかしら」
(おっ、このお嬢さん、なかなか好みがうるさいぞ!)
「じゃあ、メトネルなんかどうかな?」
 こんなやりとりを楽しみながら、私が選んだディスクはメトネルのヴァイオリン・ソナタ。霧の中を踏みしめるように歩いていく、第1番の第1楽章を聴いたとたん、
「あっ、こんな感じ。いいですね。」とお嬢さんもご満悦の様子。
 ロシアの作曲家は、極彩色の書法であられもなく感情を表現するものと思われがちだが、このメトネルは、詩的な雰囲気のなか、あれこれと思索するように音をつむぎ出していくようなピアノ曲(「おとぎ話」「忘れられた調べ」などが有名)が多い。まさにロシアの“ピアノの詩人”、そう、“ロシアのショパン”と呼ばれることだってあるのだから!
 このお嬢さんからのリクエストには、敢えて定番のピアノ曲をはずして、ヴァイオリン・ソナタをかけてみた。より瞑想的な雰囲気が味わえるかな? などと思ったからだ。お嬢さんがコーヒーを飲むのも忘れて聴き入っているヴァイオリン・ソナタ第3番「叙事詩」は、演奏時間が40分を超える、ヴァイオリン・ソナタとしては大規模な曲。気分を集中して聴くととりとめない曲と感じるが、寛ぎながらあれこれと思いをめぐらせて聴くには、絶対のお薦めだ。
               ●●官本秀世著「こんなとき露室楽」から●●
〜2003年3月第1週紹介〜