2006年2月の今週の一枚
2006年
12月
 
2月
タネーエフ/弦楽四重奏曲第5番イ長調Op.13
同/弦楽四重奏曲第7番変ホ長調
 タネーエフSQ
 Northern Flowers NF/PMA9934
 
 タネーエフSQによるタネーエフ全集。Vol.2は、2曲とも初CD化という組み合わせの、SQ第5番とSQ第7番なり。
 むう。どこか頼りなさげな第5番に比べると、さすがに第7番は念入りにしっかりと書き込まれているな。さすが番号が大きいほうが円熟期……って、第7番のほうが若書きの曲やんけッ!(←ノリツッコミ)。そうなんです。タネーエフの弦楽四重奏曲は番号の振り方が少々変則的で、完成された作品としては、第7番が最初期の作品(1880年、24歳)。これに第8番、第9番と続き、このあと第1番に戻って、あとは番号通りに第6番が最も後期の作品となる。作曲者の存命中に出版されたのも第1〜第6番だけで、第7〜第9番にはOpus番号がついていない。
 そんな“事実上の1番”の第7番。控えめな叙情を、入念な展開と過度の装飾でくっちゃべる、というある意味タネーエフらしい作品である。第2楽章アダージョ・カンタービレの息の長い巨匠風の美しさが聴きモノであるが、あの冗長でうんざりの第1楽章のあとに聴かされても、なかなかその良さに気づきにくいのが残念だ。ピリリと小粒なスケルツォに続く終楽章は……やっぱりクドいや。総演奏時間は、約40分。
 これに対して、23年後に書かれたSQ第5番の演奏時間は20分あまりだから、半分近い短さだ。ライナー・ノーツによると、タネーエフはこの作品を“子どもの四重奏曲”“Quartettino(イタリア語の語尾-inoは、「小さい・可愛らしい」の意)”と呼んでいたらしいが、この作品のタネーエフらしからぬ点は、曲の短さ、シンプルさだけではない。第1楽章のどこか人を食ったようなとぼけた雰囲気……ほら、ベートーヴェンの四重奏曲でたまに出てくるでしょ? 当時の聴衆がジョークかと思って失笑したアレです。一見冗談音楽を、ギリギリの緊張感の中演奏する妙味をねらったのか、はたまた、ただの駄作なのか。まさに紙一重のあの音楽を、ベートーヴェンよりも約1世紀遅れて大真面目に展開しているタネーエフの意図も、はかりがたいものがある。
 こんなSQ第5番ですが、曲全体としてはとても均整がとれていて、聴きやすい。第3楽章は、シューベルト−ドヴォルザークの“ださカッコイイ”スケルツォ路線を踏襲したもの。せせこましいロンドの終楽章は、タネーエフのお約束で、ひっそりと静かに終結する。ある意味、19世紀の弦楽四重奏曲を1曲で総括したような作品で、マニアだけに受けそうな感は否めないが、独特の味わいと親しみやすさをもつ作品なので、機会があれば、ぜひ聴いてみてくださいね。
   
〜2006年2月第3週紹介〜
チャイコフスキー/弦楽六重奏曲ニ短調Op.70「フィレンツェの思い出」
リムスキー=コルサコフ/弦楽六重奏曲イ長調
 ウィーン弦楽六重奏団
 PAN CLASSICS PC10173
ロシア室内楽アワード金賞受賞 
 以前、このコーナーのここで紹介した、トーマス・リーブルというヴィオラ奏者をご記憶の方はおいでだろうか?
 このCDのリムスキーの弦楽六重奏曲を聴いていたら、妙に気になるヴィオラ音が駆け巡っているので、「誰だべ」と思い、ライナーを確認したら、それがトーマス・リーブルでした。ちょっと煤けた感じで、苦み走ったヴィオラ音。所謂“ウィーン風”とは一線を画した芸風であるが、音の個性といい、アンサンブルの巧みさといい、なかなかの実力者ですね、この人は。この人の切れ味によって、この六重奏曲を印象づける“マニュアルをなぞったような対位法”が、何層にも重ねられた奥行きをもって感じられるのも、また事実なのだ。よかったな、リムスキー。
 さらに、ライナー・ノーツの彼らのプロフィールを読み進めると、彼らが名匠シャンドール・ヴェーグの薫陶を受けていたというところに、目が行く。確かに、「フィレンツェの思い出」の冒頭の、あの情熱の滾る弾きっぷりは、ウィーンの団体、というよりはヴェーグの弟子たち、ということで合点がいく。リムスキーの六重奏曲の匂い立つようなアンダンテも、やっぱりヴェーグ譲り。ただ、あくまでも情に溺れず、その都度々々ごとに上品かつコンパクトに処理していく小気味よさは、ウィーンならではのものであろう。節度あるアンサンブルを保ちながら、「フィレンツェ〜」のフィナーレでは、ここまでやるかという燃焼を見せつける。すげえぜ。
 極めつけは何といっても「フィレンツェ〜」の緩徐楽章の冒頭。ノン・ヴィブラートによるオルガン・トーンには、正直びっくりした。これも“ウィーン風”というわけでもなく、当然ながらロシア風を意識したのでもなく、おそらく彼らの多くがピリオド楽器の経験を持つという点に理由がありそうだ。ピリオド楽器という言葉自体に、若干のアレルギーを感じるぼくではあるが、このアダージョ・カンタービレの美しさはどうだろう。CD全体としても、開放弦を多用し、ヴィブラートを極力少なめにしたアプローチ。それが、こんなにも弦の響きの純度を上げてくれるものなのか。このぼくのちょっとした食わず嫌いも、考えを改める時期に来ているのかもしれない。
 ともあれこの「フィレンツェ〜」は間違いなく名盤です。ファンはぜひ買うべし。しかしこのウィーン六重奏団、「華のあるうちに…」ということで、昨年夏にとっとと解散してしまったとさ。うーん。一度ナマで聴きたかったものだ。
   
〜2006年2月第2週紹介〜
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第11番ヘ短調Op.122
同/弦楽四重奏曲第13番変ロ短調Op.138
同/弦楽四重奏曲第15番変ホ短調Op.144
 サンクト・ペテルブルグSQ
 Hyperion CDA67157
 
 うーっ。ショスタコのSQ第11、13、15番。モロ後期。とっつきづれえ、この内面性。CD聴いているのに、なぜにこんなにもコンサートばりの間合いを聴き手に要求するのよ? でもがんばるわ。
 SQ第13番は、初演御用達ベートーヴェンSQのヴィオラ奏者、ボリソフスキーに献呈された(ボリソフスキー自身は、病で引退しており、この曲の初演には携わっていない)だけあって、要所々々でヴィオラが見せ場を持つ作品(といってもかなり独白的で、地味なのだが)。残念ながら、St.ペテルブルグSQは中核メンバーが1stヴァイオリンとチェロであるため、ヴィオラは少々面白味に欠けるところがある。とくに冒頭部分などは、ドルジーニン、D.シェバーリンなどの古豪演奏を聴くと、印象が一瞬にして消し飛んでしまうところがツライ。しかしながら中間部、速くなったあとのアンサンブルの妙はなかなかのもの。多用されている、弓の木の部分で楽器の胴を叩く奏法(※最初、コル・レーニョと書いてましたが、間違いのようでした。訂正させていただきます)は、他団体ではムチを連想させるのだが、この演奏の乾いた金属質の打撃は、扉のノック音や足音を連想させ、演奏全体に不思議な陰影をつけているのだ。
 ただ、やっぱり全体としてはいろいろと“狙い過ぎ”のところが目立つ演奏ですなあ。SQ第11番の第2楽章スケルツォは、ショスタコ全体の弦楽四重奏作品を通して、ぼくの大好きな楽章であるが、St.ペテルブルグSQは、素っ気なくもどかしいスタイルから、この曲の音楽的畸形性を際立たせる、要するにグロい演奏なのである。ぼく的には、大マジメに世の不条理さを訴えかけてくる、フィッツウィリアムSQのようなスタイルのほうが好きですね。暑っ苦しいけれど。
 この狙い過ぎゆえの地味さは、最晩年のSQ第15番においては、一定の成功を収めているようだ。あと、この作品では、チェロのシュカーエフ氏の重厚で息の長い力演を聴くべし。音楽全体を引き締めていて、惚れ惚れとする。
 CD全体としては、圧倒的な名演でない代わりに、あれこれと聴き手の思索を引き出してくれる、そんな深遠さのある演奏(って、褒めているのか? これ)。
   
〜2006年2月第1週紹介〜