2006年の裏メニュー Vol.3
毎月最終週は、ロシア室内楽以外のジャンルからディスク紹介!
コンドラシンの男らしすぎるマーラー第5番(10月最終週)
スクリャービンの交響曲に究極のエロスを求めて(9月最終週)
マーラー/交響曲選集
 第1番…モスクワ・フィル
 第3番…モスクワ・フィル
 第4番…モスクワ・フィル
 第5番…ソビエト国立交響楽団
 第6番…レニングラード・フィル
 第7番…レニングラード・フィル
 第9番…モスクワ・フィル
 キリル・コンドラシン指揮、他
 BMG Melodiya 74321 64889 2
 5月末に新宿響の冬の定演曲がマーラーの交響曲第5番に決まって以来、iPodには常時5、6種類のこの曲の演奏が入れられている。バーンスタインだの、カラヤンだの、バルビローリだの。かれこれ半年が経つわけだが、再生頻度がずっとトップだったのが、この演奏。コンドラシン盤である。
 冒頭のトランペットは、全く「葬送行進曲」には聴こえない。ぶっきらぼうで、不気味な緊張感をもって、人の心の中に土足というよりは軍靴で、どかどかと踏み込んでくるようなトランペット。トゥッティ(全奏)の部分も、雷に打たれたように苛烈だ。とことんハードボイルドな第1楽章。
 第3楽章のホルンは、よく英雄に喩えられるが、コンドラシンのは暴君、いやそれを通り越して超人である。そして、とことん硬派で爽快な「アダージェット」。不屈の精神とオケの機能美が貫かれるフィナーレは、圧巻の一言に尽きる。
 ちょっと前に新宿響の代振りにいらっしゃったO先生(タコ専Dオケの常任の方)が、この曲中に何度も現れる感傷的な部分を「マーラーのトラウマを感じてください」とわれわれに指導されたのには、感銘を受けた。マーラーの少年時代、父母の不和により大きな心の傷を受けていたことは伝記で知っていたが、なるほど、トラウマという言葉は、いい得て妙。少年グスタフが父のDVを受ける母の姿を見、深い絶望の中で脳裏に刻まれた軍楽隊のラッパ、辻音楽師の手回しオルガン、森の鳥や虫の鳴き声……。フラッシュバックのように曲中に再現されるそれらの音は、研究によると、マーラーの自宅からの音的な距離感にぴったり一致するそうである。
 ただ、コンドラシン盤……トラウマなどという弱っちい概念とは、無関係だあ。マーラーの人間臭さ、弱さをいやというほど味あわせてくれるはずの第2楽章ですら、粛然として男子の鉄腸を引き締める。要するに、マーラー演奏としては勘違い甚だしいのだが、そのカッコよさに夢中になっている自分を否定できない。
 コンドラシンの男らしすぎる美学に加えて、マーラーに関してまったく手垢のついていない70年代ソ連オケの、臆すところのない鮮烈な表現も聴きモノ。この演奏を聴いてマーラーについての既存概念をぶち壊してから、またバーンスタインやテンシュテットに戻ると、とても新鮮。ついでに12/17(日)の新宿響の演奏も聴いてくれ。まだまだタダ券ありますぜ。
〜2006年10月第4週紹介〜
スクリャービン/交響曲第2番ハ短調Op.29
同/ピアノ協奏曲嬰ヘ短調Op.20
 ドミトリ・キタエンコ指揮
 ゲルハルト・オピッツ(Pf)
 フランクフルト放送交響楽団
 RCA CLASSICS 74321 20299 2
 古典を趣味とする者は、そのスノビズムから、少なからず古典の題材や古典そのものにエロスを感じるものだ。浮世絵趣味が嵩じて「春画を集めてます」は、まだかわいいほうだと思うが、
「“大奥モノ”じゃないとヌケません」とか
「官能小説が古文で書かれていればいいのに」
まで行くと、さすがに行き過ぎですな。
 かく言うぼくも、クラシック音楽の世界にエロスを求める一人。そうくれば、やっぱりスクリャービンでしょう。有名なところでは、「法悦の詩(交響曲第4番)」。原題の「エクスタシー」は原題ママか、もしくは「オルガスムス」などと超訳したほうが分かりやすいのですが、それを「法悦」などと非日常的・学術的な訳語をあたえたところが、かえって隠微。訳者のムッツリぶりが、永劫に記憶される結果となりました。
 さて、スクリャービンの交響曲は、第3番→「法悦の詩(第4番)」→「プロメテウス(第5番)」の順に、極エロおやじ→性の求道者→新興宗教教祖様、とエスカレートしていく。ところが、第4番あたりから、ぼくはちょっと引き気味である。エロそのものをあっけらかんと露出した曲というものは、スノッブな琴線には触れないんでがす。
 そこいくと、交響曲第2番、これはいいです。型破りなのが多いスクリャービンの交響曲中では、最も古典的な構成。そのため、そこばかりが強調される傾向にありますが、この曲も実はかなりエロ。第1楽章(第2楽章への序奏部とも考えられる)で断片的に登場する動機が、あとに続く楽章の主要主題となり、それらが葛藤し、さらに終楽章で歓喜に包まれたなかで体位……もとい対位法的に一体化するところなどは、古典音楽的的範疇で、スクリャービンの思想(エロ)を具現したよう。もう、ガマン限界です。
 曲想そのものとしては、第3楽章(アンダンテ)のトリスタン的陶酔のなかでしっぽりと睦び合う、独奏ヴァイオリンとフルートに充血感を覚えます。でも、いちばんイケるのは、この曲の俗題「悪魔的な詩」を地でいく第2楽章(通常交響曲の第1楽章にあたる)。神聖なものを、うすら笑みを浮かべながら蹂躙するかのような、この背徳感がイイのですよ。この楽章に着目すると、ピカレスク的に極めたスヴェトラーノフの録音に惹かれますが、ここはぐっとこらえて、キタエンコ盤。ドイツオケ特有の、野暮ったい重厚さのなかに抑制されたリビドーを、脳内にイッキに放出させるこの悦楽。……オレはやっぱり変態か。
〜2006年9月第4週紹介〜